Tea LOVER vol.1 [後編] 矢野きよ実さん
Tea LOVER | 2022/07/30
わたしの日本茶時間
矢野きよ実さん
(パーソナリティー・書家)
書も日本茶も、
人の心を溶かし繋いでいく
Tea LOVER vol.1 [前編]で矢野さんの日本茶愛をたっぷりとお裾分けいただいたあとは、サイト名「いい日になりますように」の題字にもなった書の活動について迫ります。書道と日本茶に意外な共通点もあるとか。それぞれの世界に精通する矢野さんならではのエピソードは、日々の暮らしを一歩前へと進む心の変化をもたらしてくれることでしょう。
「いい日になりますように」の
フレーズ誕生
17歳からはじめた書道では、霄花(しょうか)の雅号を持つ書家として活躍。アクティブな筆勢でありながら、じんわりと優しさがこみ上げる筆致に心奪われます。さらには、「無敵」「奇蹟」「かかってこい」「生きている 生きてやる 生きたい 君のために」など、独創的な言葉選びも見る人を虜にします。
「その瞬間、胸にある想いが右腕に伝わり、掌から筆へと届いて文字として現れるイメージです。たとえば『いい日になりますように』という書は、10年以上前に大親友がすい臓がんで倒れ、今日一日を絶対いい日にしようと、毎日願いながら過ごしていた頃の言葉が、心の習慣になったことが始まりです。ラジオの生放送でも、番組の最後をこの言葉で締めくくり続けるうちに、いつしか私のトレードマークのようになりました」
「かかってこい」を持つと、自然とファイティング魂に火がつくとか。同じフレーズのトートバッグは歌手のaikoさんにプレゼントしたそうです
心の支えとして広まった
「無敵」の輪
矢野さんの真骨頂ともいえる作品「無敵」。辞書による言葉の意味は、“向かうところ敵無しの最強の状態”ですが、躍動感溢れる矢野さんの「無敵」に新たな意味を見出した人物がいました。“自らと立ち向き合う勇気”……それが無敵な状態であるという解釈をもたらした人物こそ、当時、癌で闘病中のキャスター・鳥越俊太郎氏でした。
「鳥越さんと仕事でお逢いしたときに、なんと私の無敵バッジをつけていらっしゃったのです。理由を伺ったら、“敵は外にいない、自分のなかにいる。だから、自分に負けない”と仰って。あぁ……そうだ、この言葉は誰かと戦うためのものではなく、自分が強くあるための支えになるのだと、我ながら腑に落ちた感覚でした。私も7年前に肺腺癌で入院生活を送っていたときは、ずっと『無敵』の湯呑みでお茶を飲んでいました。その後、鳥越さんがクリント・イーストウッドさんに無敵バッジをプレゼントしたり、友人でもあるミュージシャンの忌野清志郎さんも最後まで愛用してくださったり。無敵の輪がどんどん広がり、もはや私の作品であって、私だけのものでない……誰にとっても心の支えと呼べる存在になっていきました」
「今日はちょっと気合いを入れて強い自分でいたい」という日は、お守りのような感覚で「無敵」の湯呑みを使うと力がみなぎるそうです
想えばみんなが幸せになる
さらに「無敵」の輪は、東日本大震災の復興支援へと発展。それが2011年7月から10年間、子どもたちの心のケアとして続けている無敵プロジェクトの「書きましょ」です。
一本松で知られる陸前高田での最初の授業は、米崎小学校で行われました。2時間の授業のうち、矢野さんがレクチャーをするのは5分ほど、その後一人ひとりが筆を持つ手を一瞬握って魔法をかけます。ものすごく力強い文字で「父」と書いた9歳の男の子に、「立派な父ちゃんだね」と伝えると、「父ちゃん流された」と呟く。半紙いっぱいに「今」と書いた小さな女の子はお母さんが行方不明に。「ひとりにしないで」「生きてやる」「泣きたいなら泣け、笑いたいなら笑え」「生まれかわってもいっしょ」「なみだはえがおでかわく」……小さな身体からえぐり出される声なき心の叫びに、矢野さんは書をとおして寄り添ってきました。
「大人が辛いと、子どもは笑っているんです。胸の裡を書に託して吐き出すことは、まさに『無敵』。復興支援からスタートしたこの『書きましょ』は、児童養護施設や老人介護施設まで広がりました。じつは、毎朝父にお茶を供えるときに、できるだけみんなの顔や名前を想うようにしています。想えばその人は絶対によくなるから……毎日みんなを想っているから、この10年に出逢った人とは、ずっと繋がっています」
インタビューを受けながら、これまでに出逢った一人ひとりの顔を思い浮かべているかのような矢野さん
お茶を飲むことで、
毎日1㎜でも前進
毎日、家族や仕事のスタッフに、ご近所の方に、そして亡くなられた人に……。想いを込めて日本茶を淹れることと、書を媒介に多くの人と心を通い合わせることには、共通点があると矢野さんは語ります。
「書もお茶もね、『間』が肝心。書の作品は紙を全部埋めてしまわず、余白があることで文字がぐっと映えます。お茶もおなじ。一日の時間の流れのなかに余白=『間』を作るのが、私にとってはお茶なのです。せわしなく過ごしているなかで、気持ちが一杯いっぱいになりそうになったら、お茶を淹れる。日本には“ちょっと一服”という本当に素敵な言葉がありますよね、名古屋弁では“ちょっと一服していきゃぁよ”(笑)。お茶を飲む『間』もない人生は、なんだか心淋しいですよね」
長引くコロナ禍で、いまは対面で人と会う時間を持つことが難しくなっています。そんな時勢だからこそ、矢野さんは日本茶と過ごす時間をより大切にしています。その一瞬があれば次に進めると……。
「ちょっと大変なことが続いたりすると、身体が『いま!』とお茶を求めるときがあります。お茶を飲んで、『あぁ、幸せ』と感じたら1㎜前進している(笑)。それが習慣になると、泣けるくらい辛いことなんて、なくなりますから」
「日本茶時間」で心の凝りが溶けてゆとりができると、矢野さんは空を見上げるそうです。夕焼けに感謝を託し、輝く月に離れて暮らす息子さんの姿を映す……。かつて息子さんと毎日のように見上げていた空を、いまは日本茶に映し、矢野さんは日々新しい「今日」へと向かいます。
■PROFILE
矢野きよ実
(パーソナリティー・書家)名古屋市生まれ。15歳でファッションモデルとしてデビュー。その後、テレビやラジオなど幅広いメディアでパーソナリティーとして活躍。名古屋弁による軽快なトークがトレードマークとなり、幅広い世代にファン層をもつ。書家としては、書で表現する独特の世界観が注目を集め、開催する書道展は連日大盛況となる。KIRINビールやANA、ドキュメンタリー番組など数多くの題字を提供。また、2011年3月11日の震災直後から日本赤十字愛知県代表として医師団と被災地に入り、被災地支援の「無敵プロジェクト」を立ち上げる。被災地の子どもたちの「心の声」を聞く「書」の授業を行う。子どもたちから預かった書を全国で展示、子どもたちの「心」を多くの人々に伝える講演を積極的に行う。2021年3月には、六本木ミッドタウンの「THE COVER NIPPON」でも書の展示「震災から10年、みんな、いい日になりますように」を開催。
構成・取材・文/樺澤貴子